印刷と出版の鉱脈社

鉱脈社ロゴ

白い紙に初めて記す感動を大切に《いのち》を受け継ぎ、育み、受け渡そう。

宮崎を表現する地方出版社です




TOP
鉱脈社

鉱脈社BOOK

沖縄学童集団疎開

宮崎県の学事記録を中心に

商品コード:009649

関連カテゴリー

歴史・地誌・史話

戦争の記録

みやざき文庫

太平洋戦争末期、沖縄から宮崎へ312人の学童が集団疎開した。宮崎における空襲を調査・記録した著者の遺稿記録。 県立図書館に残されていた学事関係書類を発掘し、 学童疎開はどのように行われたか、 疎開学童はどのような生活を送ったか、資料と証言をもとによみがえる戦争の意味を問い直す遺稿集。


著者について

三上 謙一郎(みかみ けんいちろう)1933(昭和8)年、宮崎市に生まれる。宮崎大宮高校を経て、1960(昭和35)年、鹿児島大学文理学部卒。同年、MRT宮崎放送入社。入社後は一貫して報道・制作畑を歩き、数多くのドキュメンタリー番組を手がける。代表作にマイクレポート「土呂久鉱山」(昭和47年)、「33年目の夏―――ある戦災死没者の家族――」(昭和52年)等がある。また雑誌『鉱脈』(昭和45年創刊)の同人として、宮崎空襲の調査・記録に取り組む。1989(平成元)年、定年によりMRT退社。その後鉱脈社に入社。著書に『記録・宮崎の空襲』(1979年)、『里も村も空襲された――記録・宮崎の空襲(2)』(1985年)、『死者を追って――増補・宮崎市空襲の記録』(1989年)、『しだれ桜の咲くむら――五ヶ瀬町宮之原の挑戦』(1992年)(いずれも鉱脈社)がある。

在庫数が大変少なくなっております。

お問い合わせは下記までお願い致します。

お問い合わせフォームまたは

TEL:0985-25-1758/FAX:0985-25-1803

オンライン書店のご案内
※下記サイトにてもご購入いただけます。
amazonサイトへ
著者三上謙一郎
シリーズみやざき文庫 32
書籍JANコード

4860611233

1920036018000

日本図書コード0036
発行日2004-12-18
よみおきなわがくどうしゅうだんそかい みやざきけんのがくじきろくをちゅうしんに
初版
判型四六判
横幅*13.1cm
縦幅*19.3cm
背幅*2.1cm
重量*382g
(*)はおおよその値となります。
頁数266頁
製本様式並製
本体価格1,800円

目次

  1. 第一章学窓疎開はどのように行われたか
  2. 一 はじめに
  3. 二 沖縄への疎開命令 一般疎開と学童疎開 学童疎開の方針決まる 学童疎開の意味するもの 沖縄からの疎開計画 疎開業務遅れる 学童の集団疎開
  4. 三 宮崎県の受け入れ体制 疎開は秘密に 松浦メモ 遅れた県の対応 市町村へ割り当て 軍からの制約 受け入れ辞退相次ぐ 援護会動き出す 学童の食費 「九月一日の競技」
  5. 四 集団学童来る 学童疎開第一陣 三つの受入票と名簿 学童疎開第二陣 宿舎の移転 学童疎開第三・四陣 学童疎開第五陣 学童疎開第六陣 第六陣の沖縄出発 対馬丸の生存者 対馬丸の遺品 学童疎開第七陣 学童疎開第八陣 学童疎開第九陣 集団学童の総数
  6. 五 おわりに 学童の再疎開 学童との交流
  7. 第二章疎開学童はどのような生活を送ったか
  8. はじめに
  9. 一 国策としての疎開 疎開の形態と意味 疎開業務始まる 遅れた受け入れ業務
  10. 二 飢えと寒さの中で 温かく迎えた地元民 心尽くして夜具にくるまって 食料事情 心ない教師たちと師弟愛 「物もらいの先生」とさげすまれて 初めての雪と霜焼け 赤痢発生 要擁護者一一六名 シラミとの闘い 望郷 「沖縄玉砕」のニュースの中で
  11. 三自給自足の体制 疎開地での再出発 愛汗学園 資材と資金難に無く
  12. おわりに 沖縄帰還
  13. 附章 
  14. 一、疎開体験の記録 疎開学童の記憶 宮崎市での疎開生活と空襲 疎開学童を引率して 疎開学童引率の苦闘 泊国民学校疎開の記録
  15. 二、学童疎開を追う 東風平町の学童疎開の記録 裏添国民学校学童疎開 宜野湾村の学童疎開
  16. 編集あとがき